「人の命を助ける仕事」をしたい、と進学
開発が決定したジェネリック薬品を製品化し、それが国の基準に合うか試験・分析を行い、国に申請することが私の主な仕事です。一つの薬を市場に出すには数年かかりますが、新しい薬をつくることは子どものころからの夢でした。長時間にわたる作業も多いですが、それが苦にならないと思えるほど、充実した毎日を過ごしています。
私がこの仕事をめざしたのは、祖母をがんで亡くしたことがきっかけです。以来、「人の命を助ける仕事に就きたい」と思うようになり、特に薬の研究・開発の道へ進みたいと考えていました。普通に考えると「薬学部」を選択するのでしょうが、高校3年時に大阪工業大学に知的財産学部があることを知り、「知的財産の知識を持って製薬会社で働こう」と考え、大阪工業大学のオープンキャンパスに行きました。その時、偶然にも「生体医工学科(現:生命工学科)では、再生医療やロボットの義手をつくる技術などが学べる」ことを知り、医療に近い分野の知識と技術が身に付けられると考え、進学することを決めました。
実験装置の製作や米国の学会での発表も経験
印象に残っている授業は、元医師の先生による「解剖学」と「生理学」の授業です。先生がこれまでに行った手術や実際の患者の病状など、臨床現場での経験に基づいた話を聞きながら医療の基礎を学べたのは刺激的でした。
3年次からは、再生医療を勉強するために「生体システム研究室」に入り、筋肉の再生の研究を始めました。
体内では、筋肉の細胞は一方向に並んでいますが、筋肉細胞を培養すると、それぞれ違う方向に育つという問題があります。そこで、それらが同じ方向を向いて育つよう、培養液を流す力や回転装置でできる水流、電気の流れを利用するなどさまざまなアプローチで実験を行いました。実験や研究では、先生が「実験装置は買わずに自分たちでつくる」をポリシーにされておられる方で、細胞にダメージを与えない材料を調べたり、実験装置に使うガラスを工具で磨いたりするなど、研究に入る前の準備作業も経験することができました。また、アメリカの学会で研究発表をするチャンスをいただいたこと、海外の研究室を見学させてもらったことは、貴重な経験となり、私の研究心を向上させる機会となりました。
タンパク質やDNAについても学びたいと、大学院に進学。「末期がん患者の痛みを取り除けたら」と思い、分子生物学をベースに、痛みを制御する物質に関する研究に取り組みました。当時、痛みを制御する可能性のある物質が見つかっていたのですが、それを発見したのが担当の先生でした。私はその研究を受け継ぎ、「その物質がどの臓器のどこにあるのか」「痛みを与えると増えるのか」などについて調べました。
研究生活の中で身に付けた実験記録の書き方や文献の調べ方から、実験方法の優先順位の決め方、見切りをつけるタイミングなど、実験におけるストーリーの組み立て方は、今の仕事にとても役立っています。
空手道部さらに軽音楽部も
研究は多忙でしたが、体育会空手道部と文化会軽音楽部に所属していました。軽音楽部では学内外においてバンド活動をするなど、クラブ活動にも積極的に取り組みました。
薬の研究開発はすぐに結果が出ない仕事ですが、必ずゴールはあるので、その過程を長いと感じたことはありません。その忍耐力は、大学時代の空手道部で培いました。また、軽音楽部で出会った気の合う仲間とは今も時々集まってライブハウスに出演しています。バンドのライブは最高の息抜きですし、社会人になっても大学時代の仲間と顔を合わせるかけがえのない機会になっています。
入社1年目で製品化担当に異例の抜擢
入社1年目の秋、ある薬の製品化担当に抜擢されました。周りの方々と協働して1年かけた研究は成功し、この2月には国に医薬品製造認可申請することができました。大学時代から好きで取り組んできた研究を、仕事で生かせることをうれしく思います。
現在の目標は、1日1回の服用で効果が持続する精神疾患領域の薬品の製品化です。1日数回の服用が必要だった従来の薬とは試験方法や規格・基準が異なるため、製品化は決して簡単なことではありません。しかし、ジェネリック薬品が世に出ることで経済的に助かる患者さんはたくさんいます。「待っている人」のために、この薬の製品化を必ず成功させて、社会に貢献していきます。
-
奥田さんがこだわるのは「品質」と「使いやすさ」。安心・安全・高品質で安い薬ができたら、病気を治すだけでなく社会環境も変えられる。 -
ライブハウスへの出演は今も続けている。大宮キャンパス中庭での演奏は、懐かしい思い出。 -
アメリカでの学会で研究発表したときの一コマ。研究室の仲間と。 -
空手道部では、男子部員に混じりハードな練習だったが、集中力と精神的なタフさが身に付いた。 -
■共和薬品工業株式会社/1954年設立。医療用薬品等の研究開発、製造、販売および輸出入を行う。2007年、世界の医薬品市場に展開するインドのジェネリック医薬品メーカー・ルピン社と資本提携し、事業活動のグローバル化をはかる。日本のジェネリック医薬品のリーディングカンパニー