フランク・ロイド・ライト

▲グッゲンハイム美術館(左上)、自由学園明日館(右上)、ロビー邸(下)
人物
フランク・ロイド・ライト(1867-1959年)は、アメリカ合衆国が生んだ20世紀の建築の巨匠で近代建築の三大巨匠の1人である。 1959年に亡くなる間際まで設計・建築の現場に立ち続け、「ロビー邸」「ジョンソン・ワックス社」「落水荘」「帝国ホテル」「自由学園明日館」「グッゲンハイム美術館」など400以上の作品を残す建築家である。
年号 | 出来事 |
---|---|
1867年 | ウィスコンシン州リッチランド・センターで誕生。 |
1885年 | 両親が離婚。ウィスコンシン大学土木科に入学。半年で大学を中途退学。 |
1887年 | シカゴにあるシルビー事務所で短期間働く。この時、日本や東洋美術に興味を持つ。 |
1890年 | アドラー&サリバン事務所で住宅設計を担当。 |
1893年 | 独立して事務所を構える。 |
1894年 | 独立後の初仕事であるウィンズロー邸が完成 (デビュー作品)。 |
1909年 | 妻子を残しヨーロッパに駆け落ちし、第一黄金時代が終焉。 以後2年間、新たな設計の仕事がなくなる。 |
1910年 | ロビー邸が完成。 |
1911年 | 自邸やスタジオを持つこの建築群を「タリアセン」と命名した。 |
1913年 | 帝国ホテル新館設計のために来日。 |
1914年 | 使用人がチェニー夫人を殺害後、放火し「タリアセン」は焼失した。 |
1922年 | 帝国ホテルの完成を待たず帰国 |
1923年 | 帝国ホテルが完成。 |
1926年 | 自由学園明日館が完成。 |
1932年 | 自叙伝を刊行。 |
1936年 | 落水荘が完成。落水荘が評価されたことで第二黄金時代を迎える。 |
1939年 | 落水荘と並ぶ二大傑作である、ジョンソン・ワックス社の事務所棟が完成。 |
1944年 | ジョンソン・ワックス社の研究棟が完成。 |
1959年 | アリゾナ州立大学講堂を設計後、逝去。享年91歳。グッゲンハイム美術館が完成。 |
1963年 | マリン郡庁舎(遺作) |
有機的建築
ライトの設計哲学である有機的建築の実現は、「真の民主主義」「ブロードエーカー・シティ」「ユーソニアン・ハウス」という三本柱で説明される。
さらに、移動手段とスピーディなコミュニケーション手段の発達によって人間の空間感覚、都市の建築のありかたは大きく変わり、その中で人間らしい、
誰もが幸福になるための新たな社会の枠組みを建築家が思索し、行動すべきであるとロイドは訴える。
近代建築の向かうべき方向の主流が、合理性・機能性を追求するなか、国際建築を目標とした時期にあっても、ライトは人間性豊かな有機的建築を提唱し、
それを実践した建築家である。また、「落水荘」の完成以前にライトは、ル・コルビュジエたちの近代建築に対して、「カードボード建築」や「二次元の建築」だと批判的であった。
ライト自身は、プレイリー建築以来、有機的建築を主張し「生活の見える空間」を表現し、それを「落水荘」に実現した。