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研究室VOICE ことばは「そのまま」理解されるとは限らない

情報科学部

Profile

情報科学部情報システム学科

黒川 尚彦准教授

とある日の授業で。
(さて、出席を取ろうか。しまった、ペンを忘れた。)
私 「ペン持ってる?」
学生「はい、どうぞ。」
私 「ありがとう。」
 
この何気ない自然なやり取りには不思議なことが潜んでいる。では、同じことを日本語が理解できる(ちょっと古い)ロボットに言ってみよう。
 
私   「ペン持ってる?」
ロボット「はい、持っています。」
私   「…」
 
同じことばを発したにもかかわらず、学生からはペンを借りることができたのに対し、ロボットからは借りることができなかった。学生は、私がペンを貸してくれとは一言も言っていないのに貸してくれた。ことばに潜む不思議なことのひとつ、それは発していないことが伝わるということである。
 ただ、これは本当に不思議なのだろうか。もし不思議だと感じるのであれば、それは発することが伝わるのは当然だという考えがあるからではないだろうか。しかし、実際は、発したことでも「そのまま」伝わるとは限らないのである。
 
 私たちはことばを使って他者とのコミュニケーションをはかる。言いたいことがうまく伝わることもあれば、誤解を生むことがあることは経験的に知っている。ところが、ことばによるコミュニケーションが言っていないことまでも伝わることには意外と気づいていないのではないだろうか。
 ことばを発する立場ではなく、聞く(理解する)立場から考えても、このことはあまりに自然で気づきにくい。「喉が渇いた」と聞くと、その人は飲み物を欲しがっているのだと理解したり、「この部屋は暑いね」と聞くとクーラーをつけてほしいのだなと理解したり、女の子を食事に誘ってみたものの「その日は予定がある」と言われたことで断られたのだとがっかりし、作った料理の感想を求めたところ「この器は素晴らしいですね」と返ってきておいしくなかったのだと気づいたりする。このように、発せられたことばを理解するだけでなく、ことばにされていない内容までも理解できるのである。
 
 では、ことばにすれば、そのことば通りの内容が伝わるかと言えば、そうとは限らない。たとえば、「泥遊びに興じた子どもの足を洗った」と「あいつはようやくあの世界から足を洗った」では、同じ「足を洗う」でも表している内容は異なる。前者は文字通り子どもが足を洗ったが、後者は実際に足を洗った訳ではない。つまり、後者はことば通りの内容が伝わってはいないように見える。
 他にもある。目の前に注文した海鮮丼が運ばれてきて「宝石箱だ」と言うことばを聞いて言い得て妙と思ったり、イチローは「精密機械だ」と評されるのを聞いていかにもと同意し、ドラマで主役が彼女に向かって「君は僕の女神だ」と言うのを聞いてベタなことを言うなと思う。決して、「丼が宝石箱な訳がない」とか、「イチローは機械ではなく人間だ」とか、「女性は人間であって女神ではない」というような無粋なツッコミを入れたいしない。これは、ことばが表している内容が現実と異なっているにもかかわらず、話し手の言いたいことをきちんと理解しているためである。たとえ現実と異なることを述べられても、うそをつかれたなどとも思わない。要するに、私たちはこれらのことばを比喩として理解しているのである。驚くべきことは、話し手が比喩を言ったなどと言わなくても、私たちが自然に比喩として理解できることにある。
 少なくともひと昔前のロボットは、ことばをそのまま(文字通り)理解したのではないだろうか。ひょっとすると最新のロボットなら比喩を比喩として理解することができるかもしれない。たとえそうでもその場合、ことばを文字通りに理解した後、その内容が現実と異なっていると判断してから、比喩としての理解を改めて開始するというような段階を踏んだ解釈プロセスを取るのではないだろうか。ところが、ヒトはそのようなプロセスを取らず、一気に比喩として理解する。(このようなことが言えるのは、実験によって、比喩の文も比喩でない文も解釈にかかる時間がほとんど変わらないことが分かっているためである。)
 
 このように、ことばによるコミュニケーションは驚くべきヒトの能力に支えられている。ヒトが、言われたこと以外のことを理解したり、比喩を比喩として自然に理解することができるのはなぜだろう。そして、ヒトは一体どういうメカニズムでことばを理解しているのだろうか。このようなことを説明しようとするのが言語学であり、その一分野である語用論である。ことばの理解は情報学の観点から見ても、興味深いのではないだろうか。