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研究室VOICE 理科系語彙の歴史

工学部

Profile

工学部総合人間学系教室〔人文社会〕

米田 達郎教授

米田教授室

 担当する「日本語の歴史」では、少しでも言葉に興味を持ってもらおうと考え、15回講義のなかで、いわゆる理系語彙の歴史について講義している。
 例えば「物理」である。日本に西洋物理学が紹介されたのは江戸時代であるが、当初は「物理」ではなく「窮理」であった。用語としての「物理」は古く、平安時代の勅撰漢詩集である「経国集」(827)に嵯峨天皇が「重陽節菊花賦」として読んだ「観二物理於盛衰一兮、知二造花之異一レ時」の中で使用されている。ここでの「物理」は「物事の理」という意味であって、現代に直接通じる意味ではない。このような意味での使用は「経国集」の後も1000年近くも続く。明治時代にも、「百学連環」(西周 著)の「物理学上」に「心理上と物理上と異なる所は、心理の首とする所は性理にして、物理の首とする所は格物なり」とある。
 一方、「窮理」の例も古く、鎌倉時代の禅僧である道元(1231~53)が記した「正法眼蔵」に「究理坐禅してみるべし」とある。なお、漢字表記にある「窮理」と「究理」は同じ意味である。ここでの「窮理」は「物事の道理」もしくは「物事の法則」という解釈がされる。江戸時代以降では後者の意味で使用されることが多い。司馬江漢の「和蘭天説」(1795)の凡例には「天文学三道あり、一は星学、二は暦算学、三は窮理学なり」、福澤諭吉「学問のすゝめ」(1872~76)にも「究理学とは天地万物の性質を見て其働を知る学問なり」とある。
 以上のように、現在の「物理」を意味する語には「窮理」と「物理」があり、それぞれが語としては長い歴史を持っていることがわかる。しかし江戸時代から明治時代において主に使用されていたのは「窮理」であった。これは江戸の学者が朱子学で使用される「窮理」を借用したからである。このように「窮理」と「物理」とは併用される時期が続いたが、明治14(1881)年の「哲学字彙」という辞書に「物理」が収録されていること、明治19(1886)年に東京大学において物理学科という名称が使用されていることからすると、「窮理」から「物理」へと次第に用語が移り、「物理」へと定着していったと考えられる。
 受験生には、「今」も大事だとは思うが、科目周辺の知識にも興味を持ち、広い視野で工学を学んでほしいと考えている。