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研究室VOICE 私の人生に意味はあるの?

情報科学部

Profile

情報科学部情報システム学科

雨宮 徹教授

フランクル『死と愛』
専門を決めたいきさつ
 学部生のころ、私は何かにつけて苦しく、無気力で、自分がこの世界に存在している意味を感じられず、悶々とした日々を過ごしていました。在学中の4年間で問題を解決することができず、ほとほと困り果てていたのですが、大学を卒業して何もできずにいた宙ぶらりんの1年のあいだにV.E.フランクル(Viktor Emil Frankl, 1905-1997)の著作と出会い「この人は私が苦しんでいるのと同じ問題に取り組み、しかも解決している!」と感じ、衝撃を受けました。
 けれどもそこに書いてあることは難しく、一人で読んでいてもよく分かりません。そこで、フランクルの著作の翻訳を精力的に行っておられた山田邦男先生の研究室を訪ね、大学院に進んで勉強することにしました。それ以来ずっと、フランクル研究を続けています。
 
フランクルという人
 フランクルは、20世紀の初頭にオーストリアの首都ウィーンに生まれた、ユダヤ人の精神科医です。彼が人生を過ごした当時のウィーンは、芸術や学問が隆盛を極め、中でも精神医学の分野では、20世紀の思想界に大きな影響を与えた精神分析学の創始者フロイト(Sigmund Freud, 1856-1939)が活躍し、彼に続いて個人心理学を創始したアドラー(Alfred Adler, 1870-1937)が現れた時代でした。フランクル は双方の学派から学びつつ、独自の「ロゴセラピー」(Logotherapie)の流派を作り出します。その基本的観点は、人間は本質的に意味を求めて生きる存在であり、また人生には必ず意味があり、そして人間は意味を満たす生き方を選び取ることができるというものです。
 
フランクルの強制収容所体験と二つの著作
 フランクルはユダヤ人であるという理由でナチスの強制収容所に収監されてしまうのですが、彼が最初に世に送り出した2冊の本は、このときの体験に深く関わりを持っています。
 彼がロゴセラピーの考えをまとめた本を準備しているそのとき、ヒットラー率いるナチス党は、ヨーロッパ中に作り上げた悪名高き強制収容所でユダヤ人の大量虐殺を始めていました。フランクルもユダヤ人であったためにナチスの強制収容所に収監されてしまいます。仲間が次々に殺されていき、自らもまた看守の暴力、極度の栄養失調や病気にさらされながらも、彼は生きる意味を見失わず、終戦により解放されて奇跡的に生還します。
 強制収容所では、収容の初日に持ち物を身ぐるみ剥がされてしまうのですが、フランクルも上着のポケットに縫い付けて持ち込んだ準備途中の本の原稿を、懇願虚しく奪われてしまいます。それでも収容所の中で友人が手に入れて誕生日に渡してくれた粗末な紙と鉛筆で、失われた原稿のメモを作り始めます。
 戻ってきたフランクルは、亡命した妹を除く家族が皆、亡くなってしまったことを知り、失意のどん底に突き落とされますが、それでも人生に意味はあるという確信のもと、収容所で書いたメモをもとに本を書き直し、出版します。これが彼の初の著作となった『死と愛』iです。この著作の完成以降、フランクルはロゴセラピーを積極的に展開し、生きる意味を見失い苦悩している人々を支えていくことになります。
 私が衝撃を受けつつも理解できなかったと先に述べた著作がこの『死と愛』でした。この本の原著は再版を重ね、フランクルによって大幅に加筆修正されたので、日本で新しく『人間とは何か』iiというタイトルで翻訳し直されることになりました。私もその仕事に参加させていただくことになったのですが、思い入れも深い分、感激もひとしおでした。
 もう一冊、フランクル が強制収容所との関わりの中で生み出した著作があります。
 先の『死と愛』には「強制収容所の心理」という一節があるのですが、それを読んだフランクルの知人から、このテーマでもっと本格的に書いたらどうか、という勧めを受けます。そして『死と愛』を出版して間もなく、フランクルは、自らの強制収容所体験を本格的に扱った『夜と霧』iiiという著作を発表します。この本の中で彼は、強制収容所という限界状況の中、一方で人間性を失っていってしまう人々がいることを、もう一方でかえって人間性の高みに達していく人々がいることを、冷静な筆致で描いています。人間の現実と可能性を描き出した『夜と霧』は世界中で翻訳され、未だに読み継がれるロングセラーとなっています。専門家のみならず一般の読者にも彼の名前が知られるようになったのは、この本があったからだと言えるでしょう。
フランクル『人間とは何か』
これまでの研究
 フランクルには、精神科医、強制収容所の体験者、信心深いユダヤ教の教徒、そして人生の意味についての思想家といった多様な側面があります。したがって彼の思想にアプローチする研究者は、精神医学・心理学、政治学、宗教学、哲学と様々な学問分野にわたっています。そうした中で私は、フランクルの思想に哲学的にアプローチをしています。大まかに言えば、ニヒリズム(この世界は生きるに値しないという世界観)の克服をテーマに、全体像が見えづらく断片的な印象を与えるフランクルの思想を、哲学の立場から体系化し、理解を深め、そこからニヒリズムを克服しうる理論を明確にすることを目的としています。このように語ると堅苦しいですが、もっと砕いて言えば、自分と自分を取り巻くこの世界に意味が感じられるようになることを目指して、フランクルの文献を読みながら考え続けている、ということになります。
 
私の生きる意味の問題
 色々と書いてきましたが、結局、私個人にとっての生きる意味の問題はどうなったのか、ということについて書いておきたいと思います。簡単に言うと、現在、私は以前のように苦しむことは無くなりました。それはおそらく、フランクルの著作を読み、考え続け、また日々の生活の中で様々な人と出会い、影響を受ける中で、自分の考え方や心構えの何がおかしかったのか、ということに気がつくことができたからだと思います。もちろん、今でも無気力に飲み込まれたり、投げやりになったりして、自己と世界が隔たれ、生きていることに意味が感じられなくなるようなこともあります。ですが、その状態が人生のすべてなのではなく、元来、世界と自己とは生き生きと交流しうるものであるという確信が、気がつけば私の心に根付いており、辛い状況があったとしても乗り越えることができると考えられるようになっています。
フランクル『夜と霧』
私の授業
 大阪工業大学の情報科学部で行っている授業の一部で、生きる意味の問題を取り上げています。そこでフランクルの思想を紹介し、私たちが意味を見失ってしまう場合、意味を見出すことができる場合のメカニズムについて解説をしています。
 自分の魂の救済は、自分自身に向き合うというプロセス抜きに達成されるということはないでしょう。その意味で、他人の言葉も他人の生き様も、それだけで自分の魂を救ってくれるわけではありません。しかし、その孤独な戦いを果敢に行った先人がいるということは、同じ戦いをしている人にとって大いなる励みになるでしょう。もし、人生の意味の問題についての授業を受けてみたいという人がいれば、ぜひ情報科学部に入学して、受講しにきてください。
 
これまでの仕事
 もしフランクルの思想に興味が湧いたら、彼の本を手に入れて読んでみてください。参考までに私がこれまでに書いた論文をいくつかご紹介しておきます。みなさんの思考の手助けとなりますように。
 
 
i   フランクル、霜山徳爾訳『死と愛』みすず書房、2019。
ii  フランクル、山田邦男監訳、岡本哲雄、雨宮徹、今井伸和訳『人間とは何か』春秋社、2011。
iii フランクル、霜山徳爾訳『夜と霧』みすず書房、1956。